釣り上げた魚を美味しくいただくために、
活け締めにする(心臓が動いているうちに大きな血管を切って方血させる)のですが
その際にエラ元にナイフを入れると魚が大きく痙攣します。
しかし私はそれがとても苦手なのです。
「この魚にも親や子がいたり、仲間がいたりするんだろうな…」
なんてことが頭をよぎります。
私はお店の小さな庭に果樹やハーブを植えています。
育てた植物を収穫する時、いい香りだな、美味しそうだな〜と思うのと同時に
「私がここで切らなかったら、種を落としたり命をつないだりできるのにな….」
といつも心に痛みが走ります。
どちらも数をこなせば慣れるかも….と思いましたが
そんなことはありませんでした。
動物であれ植物であれ、大小や種類に関係なく命があります。
食べるということは、その命をいただくこと。
これは生きていくために必要で、逃れられないことです。
人は捕食者として上位にいるから、他の生き物に
命を脅かされるようなことは滅多にありませんが
自分たちを捕食するものが現れたらどう思うのかな?と
ときどき想像します。
また自分は他者の命を奪ってまで生きる価値があるのか?と
いつも自分に問うていますが、折り合いがつかないままです。
答えは見つからないで居ます。
また自分で釣ってきたり、庭で育てたりすることで
一次産業に従事する方の苦労の一端を身をもって知ることができ、
漁師さんや農家さんに対する感謝の気持ちがますます強くなりました。
住まう土地では、スーパーに行くととても安価で魚が買えます。
消費者として嬉しい反面、売値がこれなら
仲買さんは幾らくらいで買っていて、
燃料代や人件費を引いたら…と考えてしまいます。
命がけで漁をしてきた魚や
天候に左右されながら辛抱強く育てた野菜が
この値段で売られてたら、悲しいだろうな…..
自分も作り手の端くれだと思っているので、
その手間暇や思いに価値を見出してもらえないこと、
また価値をつけて届けられないことを想像すると
やるせない気持ちになります。
自分の得のために、誰かが損をするのではなく
お互いが価値を認め合う等価交換にできないものかなぁと思っています。
だからこそ、そういった背景に向き合うことで
「命を頂いているのだから、丁寧に扱わなくては」
「命を頂いているのだから、美味しく調理しなくては」
「命を頂いているのだから、物にも人にも配慮した、より良い生き方を模索しなくては」と、
以前より少しだけ謙虚な気持ちで、命に敬意を持って日々を過ごすようになりました。
魚釣りと製菓の仕事はなんのつながりもないように思えますが、
浮かんでは消えていく感情、大事にしたいと思っている思想や理念を
毎日欠かさず行う「食べる」という行為や、日々の営みに落とし込むことで
矜持を持って仕事ができるのではないかと思うのです。
そんなこんなで、今年お世話になった岩美の海と釣果を
imovieのテンプレートに当てはめて作ってみました。
こんなの作ったよと娘ちゃんに見せたら
「これやるんだったら作ってるケーキでやればよかったのに」
という的確な指摘をいただきました💦
はい、次からはそうしたいと思いますm(_ _)m