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観光立国の正体 

観光立国の正体、昨日読み終わりました。
FBで書評を拝見していて、
気になってずいぶん前に購入していたのですが
繁忙期で読む余裕がなくなり、今になってしまいました。

これまで多分に感覚的に、こうじゃないかなぁと思っていたことが
データに裏打ちされて説明されており、点が繋がって線になったというか
「あぁ、そういうことだったのか!」と沢山の気付きを得ました。

事前に書評を拝見していて
プロダクトアウトとマーケットインという言葉の
(マーケットイン:市場や購買者という買い手の立場に立って、
買い手が必要とするものを提供していこうとすること)という言葉が、
ちょっと引っかかっていたんです。
ここにしかないものを作っていて
お客様の幸福度に貢献するという自負は
おごりではなくて矜持として持っていて
それをどうお客様に伝えるかが大切なのであって
お客様におもねるようなことをすると
何処に行っても同じものしかない平均化が起こるんじゃないか?
と思っていたのですが、読み終えて
そうではないということが、よく分かりました。

観光で収入を得なければ成り立たない土地なのであれば
自分たちのことと危機感を持って住民全員で責任を持って取り組むか
時代に淘汰されてそれなりの税収の中で、
伝えられてきた土地も手放し、街を小さくして細々と生きるか、
どちらにしても覚悟と生きる力が試されているのだと思いました。

まず自分は、観光にこられたお客様に
「こんにちは」「どちらからお越しですか?」と
<笑顔で挨拶する>ことから心がけたいと思います。
お金も何もかけなくてもできる、心持ち一つで
訪れたお客様に気持ち良くなっていただくことができるのですから。

山陰に住まう、この土地をどうにかしたいと思っている人に
ぜひ読んでもらいたい一冊でした。

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年頭所感

15年ほど前に埼玉スーパーアリーナの一角にあった
ジョンレノンミュージアムを訪れた際に買ったポストカード。
今はお店の一角に貼っています。

清志郎さんもそうだけど、
その偉大さに気づくのは
居なくなってから。

食に携わる仕事をしていて
届ける品物に思いを込めたり
知り得た気付きを伝える中で
召し上がってくださった方が
「身体を作る食べもの」を意識することで
誰かを思いやったり、物を大切にする気持ちが生まれて
更には違いを認め合うことに繋がって
その延長線上で「争いがなくなる」ってことはないかなー。

仕事を、生き方を通してそこに貢献したい。
あらためてそんなことを思った2017年の年頭です。

#ジョンレノン#忌野清志郎#愛と平和#WarIsOver#JohnLennon#ifyouwantit

2016 kayak fishing

 

海の近くに越してきてから魚釣りが好きになって、よく海へ行きます。
今年は新しいことに挑戦したいと思い
カヤックでの釣りを始めました。

釣って丁寧に処理して持ち帰った魚は
子ども達も大喜びで、たくさん食べます。
これには驚いたのですが、子どもの味覚は純粋なもので
野死のものと活け締めにしたものとの違いが分かるようです。

釣り上げた魚を美味しくいただくために、
活け締めにする(心臓が動いているうちに大きな血管を切って方血させる)のですが
その際にエラ元にナイフを入れると魚が大きく痙攣します。
しかし私はそれがとても苦手なのです。
「この魚にも親や子がいたり、仲間がいたりするんだろうな…」
なんてことが頭をよぎります。

私はお店の小さな庭に果樹やハーブを植えています。
育てた植物を収穫する時、いい香りだな、美味しそうだな〜と思うのと同時に
「私がここで切らなかったら、種を落としたり命をつないだりできるのにな….」
といつも心に痛みが走ります。

どちらも数をこなせば慣れるかも….と思いましたが
そんなことはありませんでした。

動物であれ植物であれ、大小や種類に関係なく命があります。
食べるということは、その命をいただくこと。
これは生きていくために必要で、逃れられないことです。

人は捕食者として上位にいるから、他の生き物に
命を脅かされるようなことは滅多にありませんが
自分たちを捕食するものが現れたらどう思うのかな?と
ときどき想像します。

また自分は他者の命を奪ってまで生きる価値があるのか?と
いつも自分に問うていますが、折り合いがつかないままです。
答えは見つからないで居ます。

また自分で釣ってきたり、庭で育てたりすることで
一次産業に従事する方の苦労の一端を身をもって知ることができ、
漁師さんや農家さんに対する感謝の気持ちがますます強くなりました。
住まう土地では、スーパーに行くととても安価で魚が買えます。
消費者として嬉しい反面、売値がこれなら
仲買さんは幾らくらいで買っていて、
燃料代や人件費を引いたら…と考えてしまいます。
命がけで漁をしてきた魚や
天候に左右されながら辛抱強く育てた野菜が
この値段で売られてたら、悲しいだろうな…..
自分も作り手の端くれだと思っているので、
その手間暇や思いに価値を見出してもらえないこと、
また価値をつけて届けられないことを想像すると
やるせない気持ちになります。
自分の得のために、誰かが損をするのではなく
お互いが価値を認め合う等価交換にできないものかなぁと思っています。

だからこそ、そういった背景に向き合うことで
「命を頂いているのだから、丁寧に扱わなくては」
「命を頂いているのだから、美味しく調理しなくては」
「命を頂いているのだから、物にも人にも配慮した、より良い生き方を模索しなくては」と、
以前より少しだけ謙虚な気持ちで、命に敬意を持って日々を過ごすようになりました。

魚釣りと製菓の仕事はなんのつながりもないように思えますが、
浮かんでは消えていく感情、大事にしたいと思っている思想や理念を
毎日欠かさず行う「食べる」という行為や、日々の営みに落とし込むことで
矜持を持って仕事ができるのではないかと思うのです。

そんなこんなで、今年お世話になった岩美の海と釣果を
imovieのテンプレートに当てはめて作ってみました。

こんなの作ったよと娘ちゃんに見せたら
「これやるんだったら作ってるケーキでやればよかったのに」
という的確な指摘をいただきました💦

はい、次からはそうしたいと思いますm(_ _)m

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Noël’16を終えて

今年もなんとかご予約いただいた皆様に
クリスマスケーキをお渡しすることができました。
天候の悪い中お店に足を運んでくださったお客様、
本当にありがとうございました。

自分がわがままな作り方を選んだために
たくさんの数をご用意できず、
お断りしたお客様には申し訳ない気持ちでいっぱいですが
今の自分の精一杯のお菓子をお届けできたと思っています。
今年の経験を糧に、来年はさらに良いお菓子を
お届けできる様努めてまいります。

また、いろんな差し入れをしてくださった皆様、
受け渡しが円滑に進む様に細やかな
気遣いをしてくれたアルバイトの市村さん、
販売に製造補助に走り回ってくれた妻、
温かいものも食べてないだろうからと
賄いを作って届けてくれた母、
たくさんの方に支えられてお菓子を作ることができました。
本当にありがとうございました!

Merry Christmas🎅

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悲しいニュース

今朝は、住まう町内の漁協の船が
美保関灯台沖で転覆したという悲しい知らせが…。
東京や大阪にいた時には海の事故を耳にしても
どこかの知らない誰かという三人称の死であったのが
港のある町に住み、子ども達の友人家族にも
お客さんにも漁業関係者がたくさんいて
自身もその恩恵を受ける身になって
二人称に変わりました。

ファストファッションを支える中東の労働者の命も
携帯なんかに使われるレアメタルを掘る鉱夫の命も
きっと同じなんだろうな。

写真は冬の荒れた日本海で
命がけで操業する漁師さんから頂いた赤ガレイ。
悲しくて涙が出る。
奇跡が起こってほしい。

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名前の由来

おとうさんのそんけいするしょうせつかに
「しばりょうたろう」さんというひとがいます。
しばさんのようにものごとをふかくほりさげてかんがえ、
ひとやものやくにに、おもいやりをもって
たいせつにできるひとになってほしいとのねがいをこめて
いちじをもらって遼(はるか)というなまえをつけました。

先日、小学一年の息子の参観で
「自分の名前の由来を調べてきて発表する」という授業があり
たずねてくる息子に説明した文章です。

これでもずいぶん端折りました💦

本当は、私が尊敬する司馬遼太郎さんの筆名の由来が
「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」
から来ているという話を聞き、
対象に愛を持って、ものすごい取材量で情報を集め、
慈しむように言葉を選んで書き上げる司馬さんのように
「常に自らに謙虚で他者に思慮深い、懐の深い人になってほしい」
という願いを込めて遼という一字をもらって
「はるか」と名付けました。

ですが、子供にはまず司馬さんが何をしていたどんな人なのか?
その司馬さんが敬愛していた司馬遷とはどこのどんな人なのか?
はるか及ばないという一見ネガティブなイメージを
どう自らを戒める謙虚さと結びつけて理解させるのか?と
頭の中を難題がグルグルと回りましたが、
今は理解させるのは無理だろう、その代わり
父や母の願いがこもっているのだよということだけは
伝えられたらと考え、冒頭の文章に収めました。
とりあえず、白髪頭の眼鏡をかけたおじさんの写真を見たら
司馬さんだとわかってくれるようにはなりました(笑)

私が自らの名前の由来を教えてもらったのは
ずいぶん大きくなってからでした。
少し記憶は曖昧ですが高校生位か、成人してからだったような気もします。

『実るほど頭を垂れる稲穂かな』

母との何気ない会話の中で、この句が出た時に

「あなたの名前の由来もそこからきてるんだよ」

と言われた時には驚きました。

名字が 稲木 名前が 稔

あー、そんな風な思いを込めていてくれたんだぁ。
歳を重ねるごとにわかったような気になって
踏ん反り返っていないかな?
そもそも年齢を重ねたからって実っているとも限らない。
大丈夫か?俺…と半ば焦りにも似た感情が湧いたのを覚えています。

毎年この時期に、水田のたわわに実った稲穂を見るたびに
「あ〜、自分はまだまだだな…。物事の本質を見抜けるように
もっと努力して、もっと精進しなければ」と
背筋を伸ばしてもらっています。

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雑感

私事ではありますが、七月に大好きだった父が他界し
先日滞りなく四十九日の法要をすませることができました。

数年前から病とたたかっていた父ですが
僕がお店をはじめるにあたり、
体が充分ではない中でも
一緒に雪山の中で原木をトラックに乗せ
敷地に運んではチェンソーで玉切りにし
薪割りして、自ら単管パイプで組みあげた
薪棚に積み上げてくれました。

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山陰に帰省してきてからは
意見が衝突して喧嘩もたくさんしたけど
今思えば、どれだけ心配かけていたのだろうと
自分が恥ずかしくなります。

お店の周りを見渡せば、父が残してくれたものが溢れています。

もう少し意見を聞いておけばよかったな。

もう少し一緒にお酒を飲めばよかったな。

もう少し褒めてもらえるように頑張ればよかったな。

決して器用な人ではなかったのかもしれないけれど
とにかく一生懸命に僕らを育ててくれたのだと
今になってわかりました。

いろんなことやものがあって今日という日がある。

拓郎さんの歌の一節が頭の中を流れます。

「そして今 わたしは思っています
明日からもこうして生きて行くだろうと」

ただただ「ありがとう」そして「おつかれさまでした」

僕もあなたのように

とにかく一生懸命生きたいと思います。

父がお世話になった皆様へ

長い間、大変お世話になりましたことを心よりお礼申し上げます。
有難う御座いました。

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お盆明けにお休みをいただいて、
家族で「神さまのおわす国」へ行ってきました。

伺ってみたい所は沢山あったのですが、
いつもは子ども達の迎えなどがあり、
日帰りするのは難しい状況でした。
そういった事情から、今までは
なかなか向かうことができなかったため、
今回は家族で泊まりでゆっくりと出かけました。

ほぼ初めて巡る松江や出雲の街並み。
とても綺麗で美しく、文化が成熟していると
強く印象を受けました。
観光で外から入ってくる方が多いのだと思いますが、
もてなしてくださる心意気を様々なところで感じ、
大好きな街になってしまいました。

まだまだ伺えていないお店や史跡もたくさんあるので、
また必ず訪れたいと思います。

三日もお休みを頂いてしまい、
無事明日から社会復帰できるか不安です…….💦

様々なものを見聞き、体感し多くの刺激をいただきました。
自分が大切にしたいものも、再確認できました。

明日からまた、精一杯自分らしい仕事をしていこうと思います!

価値を測る定規

私は好きで薪を使ってお菓子を焼いたり、
石窯でパンを焼いたりしていますが、
とっても不効率で生産性も良くなくて
とても人様にお勧めすることは出来ません。

それに、もしみんなが薪を使いはじめたら
煙の害や火事も増える。
日本の人口が3000万~5000万人だった
江戸末期から明治にかけた頃、
化石燃料に移行する前は木を切り尽くして
日本中が禿げ山だらけだったという話を聞きました。
それが本当なら、今の人口でその当時のように薪や炭を使ったら
あっという間に木はなくなるでしょうね。

先日も味噌作りの投稿をしましたし、
店のまわりで果樹やハーブを育てているので
何でも自分でやってみたい性分なのだと思いますが
本当は「餅は餅屋」だと思っています。
専門の仕事を突き詰める職人さんが大好きで尊敬しています。
専門外な仕事はその道の人に任せたいと思っています。
職人が手塩にかけたものを作って、
消費者がそれに見合った対価を払う。
それで経済が回る事が理想だと思います。

それでも味噌を作ったり、魚を釣ったり、
箱庭に果樹を植えたりハーブや野菜を作ってみるのは
物の価値を見定める目を養いたいと思うからです。

畑でなくてもベランダのプランターでも
なんでもいいから大根一本自分で育ててみたら、
生産者さんの苦労の一片を感じることができます。
自分が大変な思いをして作った大根を
誰かに欲しいと言われたら
いくらだったら譲るかな?と考えてみると
スーパーや八百屋さんの売値が生産者さんにとって
適正かどうかわかると思うんです。
自分で材料を買ってきて寸法測って、
ノコや玄能を使って犬小屋を作ってみたら
その労力が幾らかわかる。
自分がやった場合の完成度と人件費と比べてみて、
対価を払ってやってもらうべきか
自分でやったほうが満足が得られるか判断する。
そういった事を積み重ねて、素材や生産者さん、
職人さんへの敬意や、価値を見定める自分なりの尺度を持ちたい。

高価な道具を買う時も同じで、
たとえば鋳物の鍋は何万円もしますが、
これを誰かに借りたとしたら1回いくら払うかな?
どんな料理に使うかな?
年に何回使うかな?と考えて
自分に今ほんとうに必要かしっかり考えてから買うようにしています。
鞄や服でもみんな同じ。

出来るだけ身の回りの物は少ないほうがいい。
自分に本当に必要なものが見えて、整理でき、
大切に扱い愛でるようになる。

価値観は人それぞれですから、
他の人と同じである必要はないですが
そういった考えを巡らせるなかで、
自らの身の丈を知ることが出来ると僕は思っています。

世の潮流は時代によって
右にも左にも、良いほうにも悪いほうにも
大きく振れるのだと思います。
でもそんなときこそ
過去から学び、価値を見定め
その中庸を導き出すことが
今を生きる自分たちの責任なのだと思います。

この二日間の上京で
田舎と街の空気の違いを感じ、
おいしい食事をいただき、
自分の大好きなお菓子を食べ、
大切で素敵な人に会って語らうなかで
自分がやりたい事、進むべき道、
拠って立つ所を再確認させてもらいました。

自分はとっても非力だけど
たくさんの人に活かされているのだと
心の底から感じ、感謝の気持ちでいっぱいです。

ガトー・ア・ラ・ブロッシュ

出来上がりを左右する、
生地の温度、
樹種の剪定、
薪の太さ、
焼べるタイミング、
どれをとっても本当に微妙なもので
翻弄されっぱなし。

思ったように焼き上がらなかった時は
何でこんな手間なことやってるんだろう?とか
もうやめようかなぁ〜なんて気持ちが頭をもたげるんですが
焼成台の熾きや灰を片付ける頃には
次はこうやってみたら….
あそこでこう変えたら良くなるかもしれない….と
闘志のようなものが湧いてきます。

次はもっと上手に焼けるはず。